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『車道であおむけの男性、タクシーにはねられ死亡 姫路、一方通行の3車線道路』by「神戸新聞NEXT」


14日午前0時15分ごろ、兵庫県姫路市福沢町の市道で、道路であおむけになっていた同市の男性会社員(61)がタクシーにはねられ、搬送先の病院で死亡が確認された。

県警姫路署は自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、タクシー運転手の男(66)=同市=を現行犯逮捕した。同署の調べに容疑を認めているといい、容疑を過失致死に切り替えて調べる。

同署によると、現場は西行き一方通行の3車線道路で、はねられた男性は中央の車線にいたという。タクシーの乗客にけがはなかった。

姫路市の事件・事故の現場

2024年12月14日

車道であおむけの男性、タクシーにはねられ死亡 姫路、一方通行の3車線道路

弱者優先でも、道路は車が通る所。そこに寝てた人を轢いて罪になるんだったら、夜は車に乗るなってことになるよね。

そりゃ、過失ゼロでは無いにしても、車のほうが悪くなるという法律がおかしい。

法定速度で走っていても夜中の暗い道路で人が寝ていて回避出来る訳が無い。危険運転には甘く、この様に亡くなった人が100%過失と言っても良い事故でも逮捕されてしまう法律がおかしい。何でもかんでも弱者優先を見直すべき。運転手の人生も考えるべき。

地元ですけど、あそこは見通し良いし、夜なら交通量も少なくスピードも出やすい。しかも真ん中の車線に寝転んでたなら、気づいたとしてもブレーキかけても間に合わないと思います。何があって横になった状態かは知らないけど、運転手さんが気の毒ですね。

自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、タクシー運転手の男(66)=同市=を現行犯逮捕した。

こんなので逮捕するのは、間違っている。池袋の母子死亡事故のときは、逮捕しなかったのでに、一般人は逮捕する。

また、一般道で時速194kmで死亡事故でも、マスコミや世間が大騒ぎしないと「危険運転致死傷罪」にならない。194km出しておいて「過失運転」はないだろう、故意に危険な運転してるとしか思えない。

一般の日本人が持っている常識(感覚)と、政府の持っている常識は、大きくずれている。

かなり昔ですが横断歩道橋から投身自殺を図って落ちてきた人をはねて、はねた車の人が警察に通報したら現行犯逮捕という理不尽にも思える事件もありましたね。

本来車道上には歩行者が歩いていたり寝ていたりする事は全く想定されていない場所、逮捕された人だって別に人を轢きたくて轢いたわけでもないし、ドライバーもある意味被害者ともいえます。

コメ数2342、1位コメの「共感した」数は37000。

「共感した」数が多い順に5つピックアップ。

「車道であおむけの男性、タクシーにはねられ死亡 姫路、一方通行の3車線道路」12/14(土) 10:51配信の神戸新聞NEXTの記事。

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