【片岡愛之助】中山美穂さんの訃報に触れて嘆く「信じたく無いです」

歌舞伎役者・俳優の片岡愛之助さんが中山美穂さんの訃報に触れ、自身のブログで思いを吐露しました。 愛之助さんは、舞台稽古での負傷の手術についてブログで綴っているところでした。 今このブログをあげようとしていたら、中山美穂さんのニュースが。いまはまだ信じられないです 信じたく無いです

【竹中直人】中山美穂さんを悼む「信じられない現実に息が止まってしまいそう」映画「東京日和」で監督

俳優・映画監督の竹中直人さんが、亡くなった中山美穂さんを悼むコメントを、所属事務所を通じて公表しました。 竹中さんは、中山美穂さんを主演に迎えて映画「東京日和」を監督。「東京日和」は第21回日本アカデミー賞の優秀主演女優賞(中山美穂さん)優秀監督賞・優秀主演男優賞(竹中直人さん)を獲得しています。 信じようとしても信じられない現実に息が止まってしまいそうです。中山美穂さんはぼくの監督した映画【東京日和】(97)に主演して頂きました。その時の美穂さんの全ての表情が深く目に焼き付いています。 あるシーンでぼくは中山さんに、「美穂ちゃん、ここで泣いてくれるかな…」と言いました。すると中山さんは、「そう言われたら泣けなくなる…」と…。 ぼくは自分の演出の愚かさに深く落ちこみました。福岡柳川にて最後の撮影を終えた夜。美穂さん交えてスタッフみんなでお酒を飲みました。これで撮影が終わっちゃうんだな…と夜の柳川をぼくがひとりで歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。その音に振り向くと、そこに中山美穂さんが立っていました。その佇まいのあまりの美しさに息が止まってしまった…。 本当に素晴らしい映画女優でした…。 過去の言葉で言ってしまう事があまりにも苦しく、せつないです。

中山美穂さんが“誤解”されていた「離婚と親権」そして「恋」…関係者は「批判は厳しすぎる印象があった」

女優で歌手の中山美穂さんが6日、東京・渋谷区の自宅で亡くなったことが分かった。54歳だった。 中山さんは同日の午後にビルボード大阪でライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」を予定していたが、仕事現場に姿を見せなかったことから関係者が自宅を訪問したところ、自宅の浴槽で見つかった。その後、搬送先の病院で死亡が確認された。  現在、警視庁が亡くなった経緯や死因について調べているが、今のところ詳しいことはわかっていない。 「今月5日、中山さんはインスタグラムで東京・六本木ヒルズの森美術館で開催中の『ルイーズ・ブルジョワ展』を鑑賞したことを報告しています。一部では、その投稿の中の『2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。 写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない』といった内容が注目を集めています。ただ、現場には遺書などはなく、5日の夜にも事務所関係者と仕事に関するメッセージのやりとりをしていたようです。浴槽内で見つかった状況から、溺死やヒートショックの可能性もあるとみられています」(民放テレビ局の情報番組スタッフ)  かつてのトップアイドルにして人気女優の突然の訃報に、ネット上では「本当にショックです!」や「いまだに信じられない」「まさかミポリンが…」など驚きと悲しみの声があふれている。 6日夜には所属事務所も公式サイトでコメントを発表。 「日頃よりお世話になっている関係者の皆様及び応援してくださっているファンの皆様に、突然このようなお知らせをすることになり、心苦しいばかりですが、あまりに突然の出来事で、弊社も驚きと悲しみで呆然としております。なお、死因等の詳細は現在確認中です」と悲痛な思いをつづっている。  中山さんは1985年年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビュー。同年に『C』で歌手デビューを果たし、80年代半ばから90年代にかけて「ミポリン」の愛称でトップアイドルとして人気を博した。 女優としては、89年放送のフジテレビ系“月9”ドラマ「君の瞳に恋してる!」、90年放送の「すてきな片想い」、94年放送のTBS系「もしも願いが叶うなら」、98年に放送され木村拓哉とのダブル主演で平均視聴率 25%超えを記録したフジテレビ系「眠れる森」、2001年放送のTBS系「Love Story」などの数々の人気ドラマに出演した。  映画では、ヒロインを務めた映画初主演となった「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)や主演映画「波の数だけ抱きしめて」(91年)、岩井俊二監督作品の「Love Letter」(95年)、「日本アカデミー賞」優秀主演女優賞を受賞した「東京日和」(98年)、「サヨナライツカ」(2010年)などの有名作品で好演した。  一方、歌手としてもミリオンセラーとなった『ただ泣きたくなるの』をはじめ、『遠い街のどこかで…』や『人魚姫』、『WAKUWAKUさせて』や『派手!!!』、「WANDS」との『世界中の誰よりきっと』など数々のヒットを世に放ち、1988年から7年連続での「NHK紅白歌合戦」への出場も果たしている。  芸能事務所のベテランマネジャーはその活躍ぶりをこう語る。 「中山さんは女優と歌手を両立するトップアイドルの先駆けとも言える存在でした。年齢、性別を問わず人気を集め、アイドル、女優、アーティストとして携わった数々の作品をヒットに導くなど、功績の大きさはもちろん、浮き沈みの激しい芸能界でその活躍の息の長さも特筆すべきものがありました」  私生活では2002年にミュージシャンで小説家の辻仁成と電撃結婚。同年10月期の主演ドラマ「ホーム&アウェイ」を最後に芸能活動を一時休止し、夫婦でフランス・パリへ移住。04年には長男を出産した。  だがその後、14年に辻との離婚騒動が勃発し、音楽家との不倫まで報じられると、同年7月に辻との協議離婚が成立した。  当時について、前出の民放テレビ局の情報番組スタッフはこう振り返る。