中山美穂さんにレコード大賞・特別功労賞「音楽界に貢献をした『故人』に贈る賞」…西田敏行さん、八代亜紀さんらも
TBS系『第66回輝く!日本レコード大賞』(30日午後5時30分)は16日に公式サイトを更新し、「特別功労賞」の受賞リストに6日に亡くなった俳優・歌手の中山美穂さんの名を連ねた。同賞は「長年にわたり、音楽活動・評論活動を展開し、音楽界に大きな貢献をした『故人』に贈る」とされている。 中山さんが死後10日をへて、レコード大賞特別功労賞を受賞することが発表された。今年のレコード大賞については、30日に決定する最優秀新人賞、レコード大賞以外の受賞者一覧を11月20日に公開。特別功労賞は小澤征爾さん、キダ・タローさん、園まりさん、谷川俊太郎さん、仲宗根美樹さん、西田敏行さん、真島茂樹さん、八代亜紀さん、山北由希夫さんだった。 中山さんは1970年3月1日、東京都生まれ。85年にシングル『C』で歌手デビュー。同年のTBS系連続ドラマ『毎度おさわがせします』で注目された。音楽面では、91年のシングル『世界中の誰よりきっと』(中山美穂&WANDS)、94年の『ただ泣きたくなるの』などを大ヒットさせた。 また、2023年に24年ぶりの全国ツアーを開催し、今年も同様に展開。歌手デビュー40周年の来年も、4月から全国ツアーの日程が組まれていた。
少女画家の高橋真琴さん死去 90歳
漫画家で少女画家の高橋真琴さんが11月17日に亡くなった。90歳だった。高橋さんのイベント情報を発信する公式Xにて本日16日に発表された。高橋さんは幼年誌や少女雑誌、布製品や文房具のイラストなどで昭和の時代を彩り、2000年代には画家として精力的に個展で作品を発表して、長きに渡り少女文化に貢献。少女の瞳に星の輝きを描くスタイルを確立した作家としても知られている。 【画像】瞳キラキラ!昭和感あふれる…高橋真琴さが描いた少女イラスト Xでは「高橋真琴は かねてより入院加療中でございましたが 去る11月17日に食道胃接合部癌にて 90歳で永眠いたしました」と報告。 「葬儀は故人の遺志により11月25日に親族のみにて相済ませました お知らせが遅くなりました事をお詫びいたしますと共に故人が生前賜りましたご厚情に深く感謝申し上げます」と伝えた。 続けて「故人の遺志により偲ぶ会等の予定はございません 尚 誠に勝手ながらお香典ご供花ご供物などのお心遣いは故人の遺志により辞退させていただきたくお願い申し上げます」とつづっている。 高橋さんは1934年、大阪出身。 貸本漫画でデビュー後、雑誌『少女』にカラー連載「あらしをこえて」などを発表する。以後、『なかよし』『マーガレット』『よいこ』など雑誌の表紙、口絵、挿絵を描くほか、ハンカチなどの布製品、スケッチブックや筆箱といった文 房具類などで、数多くの少女画を手がける。 1992年から現在まで定期的に新作個展を開催し、精力的に作品を発表。 近年は、アパレルブランド<コム デ ギャルソン>や<アナスイ>などのコレクションに少女の絵柄が起用され、大きな話題となる。真琴アートで描かれる世界を、ユートピアにかけて「マコトピア」と名付け、その唯一無二の世界観を伝えながら、自身のペー スで新作に取り組んでいた。
小倉智昭さん、生前につづっていた「若いうちにやったほうがいい」老後の後悔…まっすぐな“本音”に想い寄せるファン続々
フジテレビの“朝の顔”として長く親しまれてきた、小倉智昭さんが亡くなった。12月10日、所属事務所が「12月9日15時8分、膀胱がんのため逝去いたしました。享年77でした」と発表した。 「小倉さんは1970年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社してアナウンサーとしてのキャリアをスタートさせました。フリーに転身後は、1999年から約22年間『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)で総合司会を務め、キャスターとしての地位を確立させました。歯に衣着せぬ物言いが人気で、小倉さんのコメントはよく注目されていました。 キャスターとして多忙な日々を送るなか、2016年に病に襲われました。膀胱がんと診断され、2018年に膀胱全摘出手術を受けました。その後も『とくダネ!』の司会者として舞台に立ち続け、2021年に同番組を勇退。その後も、果敢にがんと闘ってきましたが、肺への転移や2023年に発覚した腎盂(じんう)がんにより、左腎臓を全摘出しました。12月に入り容体が急変したことで、最後は家族に見守られながら、息を引き取ったようです」(芸能記者) 小倉さんと親交のあった著名人たちは、相次いで追悼を口にしている。みのもんたは、TBSの取材に対して『仲間が旅立って行っちゃうような気がして寂しいです』と想いを寄せた。 『とくダネ!』で約5年間、キャスターコンビとして共演していた菊川怜さんは、自身のInstagramで《小倉さん、悲しいよ。こんな日がくるなんて。もっと一緒にいて欲しかった。もっと会ってお話したかった。いつも私の事を父親のように心配してくれました。そして話を聞いて相談にのってくれました。その優しい声が忘れられません。ありがとうございました》と、思い出の写真とともに小倉さんを偲んだ テレビのレギュラー番組を離れてからも、ラジオ番組や新聞のコラムで、闘病生活を明かしてきた小倉さん。死去後に再注目されているのが、3月に日本経済新聞で4回にわたり連載された「向き合う」というコラムだ。 「そのなかでも、3月30日の朝刊に掲載された第4回『小倉智昭さん「老後にやろう」はダメ 闘病の末の本音』が共感を呼んでいます。 《今の状態は理想の隠居じゃない》という言葉で始まったコラムは、病気になったことで、趣味である映画や音楽の鑑賞が難しくなっている現状を、ありのままにつづっています。 そして、《体が動くうちに海外旅行をすればよかった。ワインのおいしいお店に行っても自由に飲めない。若いうちにやれることがあったらやったほうがいい。老後にやろうと思っていても、老後になるとできないことがあまりにも多すぎる》と、自身の後悔をにじませた後に《こんな体験を笑って話せる人はあまりいない。少しは勇気を与えられればと思う》と“いま”を生きる者たちへのメッセージを残したのです。 小倉さんらしいまっすぐな内容は、掲載当初も話題を呼びましたが、あらためて人々の胸を打っています」(前出・芸能記者) Xでは、コラムに共感するコメントが並んでいる。 《このコラムが沁みるなぁ… 老後のことも考えなきゃってなりがちだけど、年をとる前にやったほうがいいことたくさんあるね。小倉さん、長い闘病生活お疲れ様でした》 《佐久間信行さんもラジオで「考えさせられた」って触れられていたけど、以前バズってた小倉智昭さんのこのコラム、小倉さんの晩年やお人柄が伺え知れるし、老後について考えさせられる名文だと思う》 小倉さんの言葉は、これからも多くの人の心に残り続けるだろう。