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夜空彩るちょうちんと花火 埼玉・秩父に師走を告げる日本3大曳山祭

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市の秩父神社の例大祭「秩父夜祭(よまつり)」が3日、大祭を迎え、きらびやかに飾りつけられた2基の笠鉾(かさほこ)と4基の屋台の山車が、夜遅くまで市内を巡った。

夜空彩るちょうちんと花火 埼玉・秩父に師走を告げる日本3大曳山祭(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

日本三大曳山祭りのひとつ、神様の伝説が宿る「秩父夜祭」。きたる12月3日、大祭開催!(季節・暮らしの話題 2015年11月28日) - 日本気象協会  tenki.jp

12月2日(月)3日(火)花火】大迫力の山車&フィナーレを飾る花火で日本三大曳山祭の魅力を体感!秩父の師走名物「秩父夜祭」 | NAVITIME  Travel

国の重要無形民俗文化財で、京都の祇園祭、飛驒の高山祭とともに日本3大曳山(ひきやま)祭にも数えられる。  午後8時ごろから、山車が傾斜角約25度の急坂「団子坂」を「ホーリャイ、ホーリャイ」の掛け声で次々と駆け上がり、市役所前の「御旅所(おたびしょ)」に集結。夜空に打ち上がる花火とともに最高潮を迎えた。(深津慶造)

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中居正広 収録中止の『金スマ』に続き新番組『THE MC3』も放送中止へ!スタッフは「このまま番組がなくなってしまうのでは」

「中居正広さん、東野幸治さん、ヒロミさんの3人が司会を務めている『THE MC3』(TBS系)ですが、年明けの1月13日に予定されていた回が放送中止になることがスタッフたちに通達されたそうです」(TBS関係者) 国民的大スターである中居正広(52)の“まさかのスキャンダル”は波紋を広げ続けている。 発端は12月19日発売の「女性セブン」によるスクープ。記事によると、昨年に当初3人で行われるはずだった会食があったが、急遽中居と女性の2人だけに。その後、密室で2人の間に重大なトラブルが発生。後日、代理人を介した話し合いの場が持たれ、中居から約9000万円の解決金が支払われたという。 中居の代理人弁護士は同誌の取材に対して、「本件については、以前に双方の話し合いにより、解決しておりますことをご理解ください」と回答しており、トラブルがあったことや示談金を支払ったことを否定していない。 12月26日には同じくTBS系の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』の収録が予定されていたが、前日の25日に中止されたと報じられている。 前出のTBS関係者が続ける。 「『THE MC3』の放送中止についての通達があったのも12月25日で、文春オンラインが中居さんの女性トラブルについて報じた日でした。現場では『記事を確認したうえで中止を判断したのだろう』と、ささやかれています。 1月13日放送分はすでに収録を終えており、スタッフたちも動揺しています。放送中止の理由についての説明は特になかったそうです。1月13日の放送だけではなく、『このまま番組がなくなってしまうのではないか』と、スタッフたちは戦々恐々としています」 12月27日、本誌はTBSテレビ広報室に、『THE MC3』の放送中止の理由と番組終了の可能性について質問状をおくったが、年末ということもあったのか、要望した時間までは回答を得られなかった。 「9000万円という解決金は世間を驚かせましたが、逆に『そこまでのことをしてしまったのか』という印象を広げ、延焼を防ぐにはいたっていないようです。 スポンサーや視聴者の反応によっては、今後、TBSが中居さんを起用しない方向に舵を切る可能性もあります」(前出・TBS関係者) 激震は年明けまで続くのか? 関係者たちは注視し続けている。

《本は数万冊、CDやDVDは約2万枚》小倉智昭さん、叶わなかった妻の願い「コレクションを眺めながらお別れの時間を」

青空が広がった12月中旬、9日に膀胱がんのためこの世を去った小倉智昭さん(享年77)の葬儀がしめやかに営まれた。喪主を務めたのは、小倉さんと40年間連れ添った妻のさゆりさんだった。長年情報番組のMCを務め、交友関係も広かった小倉さんの“キャスターとしての最後”に、さゆりさんは複雑な思いを抱いているという。 「生前、小倉さんは熱心なコレクターとして知られていました。小倉さんの死後、さゆりさんはそういったコレクションを眺めながら、生前小倉さんと親交のあった人々を自宅に招いて、“お別れの時間”を過ごしてもらおうとしていました。ところが、小倉さんの死が思ったより早く世間に知れ渡り、その準備の時間がとれないまま葬儀の日を迎えることになった。それが心残りになっているようです」(芸能関係者) 小倉さんのコレクションは、本だけで数万冊、CDやDVDは合わせて約2万枚あった。それらに加え、腕時計や絵画、飛行機や鉄道の模型に、日本では手に入らない木材で作った貴重なゴルフクラブなどもあったという。 自慢のコレクションに囲まれて(2017年5月) 写真一覧 「5万点を超えるコレクションを、小倉さんは自宅とは別に借りた事務所兼スタジオに保管していました。7階建てビルの4フロアを使い、『小倉ベース』と呼ばれていました。ただ、家賃などの維持費が相当額かかるため、小倉さんは生前、コレクションの処分を考えていたようです」(小倉さんの知人) そこに手を差し伸べたのがさゆりさんだった。 「“あなたの余生は、自分が好きで集めたものに囲まれて暮らすのが幸せでしょ”と言って、自宅を自慢の品々を展示できるようにリフォームして、小倉ベースからすべての所蔵品を引き上げる計画を立てました。さゆりさんが使っていた部屋にも陳列棚を作ったそうです」(前出・小倉さんの知人) 自らの部屋を夫に明け渡したさゆりさんは、母親の介護もあり、都内にある実家へと移った。2023年秋にリフォーム工事が終わると、計画通りすべてのコレクションが自宅に収まったという。 「小倉さんが集めたものの一つひとつに、さゆりさんは夫の人生が映し出されているように感じていたようです。だからこそ、まずはそうした大切な品々がある思い出の場所で、お世話になった人にお別れをしてもらいたかったのでしょう」(前出・芸能関係者) 後日予定されている小倉さんの「お別れの会」では、さゆりさんのはからいでコレクションの展示が計画されているという。

《神田正輝が妖艶マダムとゴルフ場デート》助手席でほほ笑む女性

「僕は元気ですよ」──。2021年12月に愛娘・神田沙也加さん(享年35)との別れを経験した神田正輝(74)は、当時MCを務めていた『朝だ! 生です旅サラダ』(テレビ朝日系、 以下『旅サラダ』)に出演すると、笑顔で気丈に振る舞った。あれから3年、神田と母・松田聖子(62)はそれぞれの“時間”を過ごしていた。  松田は沙也加さんの訃報があった当時、毎年恒例だったディナーショーを中止し、すべての仕事をキャンセルした。 「聖子さんは約4カ月後に東京で行われたディナーショーで、歌手活動を再開しました。112日ぶりにファンの前でマイクを握った聖子さんは、『私の娘は昨年12月18日、天国へと旅立ちました』『これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌ってまいります』と、涙ながらに誓っていました。以降、公の場で沙也加さんのことに触れることはほとんどありませんでした」(スポーツ紙記者)  静かな生活を送ってきた松田だったが、彼女自身も向き合い、2024年3月に中央大学法学部通信教育課程を卒業していた。 「聖子さんは数年前から音楽活動の合間を縫って、仕事と勉学を両立してきたそうです。子どもの頃から大学志望でしたが、高校卒業後にすぐにアイドルとしてスターとなり、進学できなかったのが、ずっと心残りだったそうです。芸能の仕事と法律が身近だったことから法学部を選択し、生前の沙也加さんも聖子さんの決断を後押ししていたそうです」(同前)  2024年、芸能生活45周年を迎えた松田は年末年始、ファンの前で歌い続ける予定だ。一方、2024年9月末で27年半もの間MCを務めた『旅サラダ』を卒業した神田は、2023年にSNSで激やせを指摘する声が相次いだ。本人は「身体のメンテナンス」を理由に番組を長期欠席して約2カ月後に復帰したが、最終的に番組から離れることを決断した。 「完全回復した神田正輝」  番組卒業から3カ月──。表舞台に姿を見せていなかったが、12月中旬、神田の姿は千葉県内にある会員制高級ゴルフ場ラウンジにあった。彼の傍らにいたのは、40年来の付き合いのAさんだった。 「Aさんは銀座の老舗クラブのオーナーママで、神田さんの年下だと聞いています。妖艶な雰囲気のマダムです。独身時代からの知り合いで、番組を休んでいた神田さんを献身的にサポートしていたのが彼女です」(芸能プロ関係者)  神田は、石原軍団に所属していた頃からプロアマ大会に出場するほどゴルフ好きで、50代の頃にはドライバーで368ヤード飛ばすなど、その腕前は芸能界トップクラスだった。 「このゴルフ場は有名人御用達で、神田さんは以前からこちらの常連です。神田さんは女性とゴルフ場のレストランに入店し、朝食にトーストとサラダの洋食セットを食べていました」(目撃した利用者)  晴天の中、溌剌とした様子でゴルフを楽しむ神田とAさん。 「最終ホールのグリーン上では、神田さんが狙いを定めてカップインすると、すぐさま女性が駆け寄って微笑みながら声を掛けていました。プレーを終えると神田さんが車のハンドルを握り、助手席に女性を乗せて帰られました。神田さんはゴルフバックを片手で担ぐなど、とても元気に見えましたよ」(同前)  神田と松田は沙也加さんの急逝後、「静かに個人を偲びたい」という意向で「お別れ会」の開催を見送っている。  命日だった12月18日、2人は静かに愛娘を偲んだ。

立体駐車場で車が落下 点検中の50代作業員が下敷きになり死亡 神戸・中央区

12月27日、神戸市中央区の立体駐車場で車が落下し、点検をしていた作業員1人が死亡しました。 27日午後3時半すぎ、神戸市中央区にある立体駐車場で「車両が関係する事故があった」と消防に通報がありました。警察によりますと、作業員の男性3人が立体駐車場の点検をしていたところ、約8mの高さから乗用車が落下。男性2人が巻き込まれ、このうち車の下敷きとなった50代の男性が死亡。29歳の男性は重傷で肋骨などを骨折している疑いがあるということです。 警察は車が落下した原因など当時の状況を調べています。

斉藤由貴 恋愛観は「浮気されたら別れる」なのにW不倫の果てに離婚

「こうやって喋ると、みんな斉藤由貴の正体がわかると思う。だから、この人は詩人なんだよね。普通の人ではないの」 こう語ったのは、日本を代表する作詞家の松本隆(75)。これは、12月22日放送の『松本隆 風街ラジオ』(TBSラジオ)にゲスト出演した斉藤由貴(58)がアイドル時代を、演技や歌番組は嫌いだったが、「本分の部分がとても楽しかった」などと振り返ったことに対してのコメントだ。 ‘84年に芸能界入り、翌年には代表曲「卒業」で歌手デビューし、一瞬にしてトップアイドルとなった斉藤。以来、長らく第一線で走り続けている彼女だが、プライベートも“普通の人”とは少し違うようだ――。 本誌12月24日発売号で、今春に斉藤が離婚していたことが明らかとなったのだ。すでに財産分与も受けているという。 ‘94年12月に同じモルモン教の信者だった夫のI氏と結婚し、3人の子宝に恵まれた斉藤。しかし、子育ても落ち着いたころ、男性関係が世間を騒がすことに。 「かつては故・尾崎豊さんや川崎麻世さんといった芸能人との不倫で注目を集めた斉藤さんですが、Iさんとの結婚後は落ち着いていたかのようにみえました。 しかし、’17年に横浜市内でクリニックを運営する60代の医師・T氏とのW不倫を『週刊文春』が報道。記事によると、斉藤さんが借りるマンションにT氏が何度も訪問していたそうです。当初は関係を否定していた斉藤さんですが、T氏との逢瀬が写真週刊誌の『FLASH』でも報じられ、当時出演予定だった大河ドラマ『西郷どん』の降板を余儀なくされました。いっぽうのT氏は不倫発覚を機に離婚しています」(スポーツ氏記者) 奔放な私生活を送る斉藤だけに、パートナーにも寛容かと思いきや――。少し前の番組ではあるが’07年6月放送の『グータンヌーボ』(フジテレビ系)にゲスト出演した際、恋愛観について議論を交わすなか、パートナーに浮気された際の対応について斉藤は、 「浮気されても別れようって風に思わないんだなぁ……。それって何なんだろう」 「私は多分、浮気されたら別れると思う」 「私だったらきっと、粉々になっちゃう。何かもう、考えただけで涙が出てきそうになっちゃうもん」 と告白。最後には、涙ぐみながら「本当に悲しくなっちゃうと思う。やっぱりすごい好きだから……」と明かしていたのだ。 それまでの斉藤の遍歴から考えると、“自分勝手”にも思える言葉だが、最近でも奔放ぶりは変わっていなかった。 9月10日夜、キャップを目深く被り、背中が大きく開いた妖艶な黒のワンピース姿でマンション駐車場に愛車を格納していた斉藤。この日58歳の誕生日を迎えた斉藤は、手に2つの花束を持ち、建物に入って行った。 「実はこの横浜市内のマンションは、’17年に不倫が報じられたT氏が住んでいる場所。不倫発覚から6年後の’23年11月、『週刊文春』で斉藤さんがT氏のクリニック前で泣き叫ぶという騒ぎを起こしていたことが報じられた際、斉藤さんは取材に“偶然会っただけ”と答えるなど、不倫関係の継続は全力で否定していましたが……」(週刊誌記者) 当時、本誌は斉藤に離婚の可能性について直接取材を試みたものの、彼女が答えることはなかったが、すでに30年におよぶI氏との夫婦生活にピリオドを打っていたのだった。 現在も、T氏のマンションと自宅を行き来する二重生活を送っており、朝帰りする姿を先日目撃している。何度目かの春を謳歌しているのかも。

「脳出血で倒れて1年3か月」歌手・井上あずみ「わたしは元気!」復帰イベントで披露した『さんぽ』は「まさに今の私のための歌」

ジブリ映画の楽曲『君をのせて』や『となりのトトロ』を歌う歌手・井上あずみさん。昨年8月に40周年コンサートの当日、リハーサル中に脳出血で倒れ、1年にわたる過酷なリハビリを経て、先月ステージに復帰しました。この日を迎えたお気持ちなどを伺いました。(全4回中の4回) 2024年11月16日のイベント「アニソン文化祭2024 みんな集まれ!わたしは元気♪」では総合司会を務められました。この日が実質、手術から1年3か月ぶりの復帰となりましたが、無事に終えられた率直なご感想を教えてください。 井上さん:アニメソングを歌う仲間たちや娘で歌手の今尾侑夕(ゆーゆ)に助けられてこの日を迎えることができました。でも、正直に言うと、すごく疲れました。病気になる前は2時間くらいのコンサートは頻繁にやっていたのに、まだまだ本調子ではないことを実感したのは事実です。でも「やっと40周年が迎えられて進みだしたな」と思えました。昨年8月の40周年コンサートの当日、本番直前のリハーサル中に脳出血で倒れてしまい、私のなかで40周年のコンサートは幕が上がらないままで止まっていましたから。 ── イベントではジブリ映画の楽曲『となりのトトロ』を歌唱なさったそうですね。 井上さん:はい。みなさん大きな拍手と笑顔で見守ってくれ、一緒に歌ってくれてうれしかったです。「あぁ、この感じだ!」って、かつてのコンサートを思い出しましたね。今回、車いすで歌うことになり、座るとどうしても姿勢的に声が出しづらいので、練習をたくさんしました。「立てばもっと声出るのに」と悔しさも少しありましたが、苦しそうに見えないよう、明るく笑顔で歌うことを心がけました。少し音程をはずしてしまったのは残念だったんですけどね。 今回出演してくれた仲間たちはとてもあたたかくて…。みなさんがステージでお祝いの言葉をくださって、それを舞台袖で聞いてたんですけど、本当はステージ正面から見たかったです(笑)。洗足学園音楽大学のみなさんも参加してくださって、若いパワーを見ていると、もう未来しかないなって希望をもらいましたね。 ── 映画『となりのトトロ』の曲『さんぽ』も披露されたそうですね。 井上さん:『さんぽ』は自分も元気になりたいなという気持ちで歌いました。会場のみなさんも歌ってくれ、それが応援してくれているように聞こえて、胸がいっぱいになりました。まさにリハビリでたくさん歩いて、今の元気な姿をお見せできた自分のことと重なって、もう感激ですよ。今の私のための歌のように聞こえて、この曲に出会えたことに改めて感謝しました。

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