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スタバで紙ストロー廃止 利用客の声反映し“飲み心地”と「エコ素材」活用の両立 1月23日から沖縄で、3月から全国で変更

「スタバ」の愛称で知られる大手コーヒーチェーン「スターバックスコーヒージャパン」が6日、新方針を明らかにしました。


スターバックスコーヒーは、現在使用している紙製のストローを2025年から廃止すると発表。

紙ストロー導入の先駆けとも言えるスタバは、なぜ方針を変更したのでしょうか。

アメリカに本社があるスターバックスが紙ストローの導入を発表したのは2018年のこと。

理由として挙げたのが、当時、世界的に注目されていたプラスチックゴミによる海洋汚染です。


分解されないプラスチックの一部が海を漂い、海洋生物などに悪影響を及ぼすとして、プラスチック製品の使用を見直す動きは拡大。

スタバの発表以降、コンビニやファストフードチェーンが、従来のプラスチックから別素材などへの切り替えを進めたのです。

日本のスタバでは、2020年から環境負荷の低い紙ストローの提供を開始。


しかし、利用客らは「紙だと、使い続けてると段々やわらかくなってきて…」「シナシナって感じになるので、飲みづらいとかはありました」「(紙ストローを)2個使う時もあったので、これってエコになっているのかって」といったデメリットを感じていました。

こうした声を受け、スタバは紙の巻き数を増やすなど改良を重ねてきましたが、今回、素材そのものの変更を発表したのです。


今後使われるのは植物由来のバイオマスプラスチック製ストロー。

コンビニ大手「セブン-イレブン」の「セブンカフェ」でも使用されているストローと同じ素材です。


二酸化炭素の排出を削減し、廃棄物も5割減少。
微生物によって生分解され、環境問題の解決に貢献するものだとしています。

スターバックスコーヒージャパンは、利用客の声を反映し、「飲み心地の良さと環境負荷低減の両立を果たした」としています。

 

ストローを巡っては、他の外食チェーンでも動きが相次いでいます。

現在も紙ストローを提供している日本マクドナルドは、一部店舗でストローなしのふたに切り替える実証実験中。

日本ケンタッキー・フライド・チキンでは、2024年から順次、全店舗でストローなしのふたに切り替えています。

スターバックスコーヒージャパンは、新しいストローを2025年1月23日に沖縄県内の全32店舗で先行導入し、3月以降に全国1900店舗以上に広げる予定です。

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