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【追悼’24】「歌手の小金沢君」で時の人に…小金沢昇司さんが果たせなかった〝復帰の夢〟

’24年も多くの著名人が惜しまれつつ旅立っていった。過去に本誌が紹介してきた記事などをもとに、往時の活躍をふり返り、故人を偲ぶ──。

歌手・小金沢昇司さん死去 65歳 北島三郎の付き人、『歌手の小金沢クン』で流行語…経歴を振り返る(日テレNEWS NNN) - Yahoo!ニュース

ブレイクのきっかけはたけしさんの一言

演歌歌手の小金沢昇司さんは1月11日に呼吸不全のため、神奈川県内の病院で亡くなった。享年65。’23年の年の瀬から演歌界では八代亜紀さん(享年73)、冠二郎さん(享年79)らの訃報が相次いだ中での死だった。

1984年に演歌界の大御所、北島三郎(88)に弟子入り。4年ほど運転手をつとめた後、1988年にデビューを果たす。そして小金沢さんの名前を一躍全国区に広めたのが、1992年ののど用スプレー『フィニッシュコーワ』(興和)のCMだった。

「歌手の小金沢君が使っているのはフィニッシュコーワ」のナレーションで始まるCMで小金沢さんはセリフを一言も発せず、持ち歌が流れることもなし。まだ顔が売れていなかったことから「あの人は誰?」「本当に歌手なの?」と話題となったのだ。同年の「新語・流行語大賞」の大衆部門で銀賞を受賞することにもなった。当時のフィーバーぶりについて、小金沢さんは本誌’08年12月19日号で次のように語っていた。

《ビートたけしさんが何かの番組で『あの小金沢クンて誰なの?』と言ったのがきっかけだったと思います。たった2ヵ月間のCM放送でしたが、オンエア率が高かったためか一気に注目されました。おかげで『フィニッシユコーワ』はそれまでの数十倍を売り上げ、その年の5月に発売された僕のCD『おまえだけ』は30万枚を超える大ヒットとなったんです。薬局には『〝小金沢クン〟をください』 と買いに来る人が大勢いたそうですよ》

このときの取材で小金沢さんは《演歌界に自分なりの色を出したい》という夢も語っていた。

復帰に向けてのリハビリもむなしく…

〝時の人〟ではなくなってからも、歌手活動は順調だった。持ち歌も増え、’03年にリリースした『ありがとう…感謝』は発売から10年も経った’13年に第6回日本作曲家協会音楽祭にてロングヒット賞を受賞している。

順調に見えた小金沢さんの歌手活動に暗雲が垂れ込めてきたのは、’14年に北島音楽事務所から独立して、芸能事務所を立ち上げたあたりからだった。若手時代からギャンブルなどで作った借金に加えて、事務所の設立資金を複数の知人に出してもらったことで大きな負債を負ったという。

歌手・小金沢昇司さん(65)呼吸不全で死去 師匠の北島三郎さん「あまりにも若くて早すぎる。いつまでも忘れはしないよ」|FNNプライムオンライン

「他にも数百万円の不動産詐欺にあったり、化粧品ビジネスに失敗したりで借金は数千万円にのぼったそうです。地道に地方営業をこなして返済していましたが、コロナ禍で生活が一変してしまった。営業はほぼ中止になり、収入は8割減。借金返済のため、生活は厳しかったようです」(小金沢さんの知人)

追い打ちをかけるように’20年11月、小金沢さんは酒気帯び運転で事故を起こして逮捕されてしまう(後に不起訴)。この事件で小金沢さんは芸能活動を自粛。以来、表舞台で歌うことはなかった。自粛中は人前で歌うことを控えていたが、「歌わないと声が出なくなるから」とカラオケでひんぱんに歌っていたという。

’22年の夏には新型コロナに感染。回復後も誤嚥性肺炎を何度も発症し、’23年は体調不良のために入退院を繰り返していたという。’23年はデビュー35周年という節目の年ということもあって、ステージへの復帰を目指してリハビリに励んでいたが、ついに叶わぬ夢となってしまった。

ご冥福をお祈りします──。

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雅子さま バスの中でも座られずお手振り…3度目能登ご訪問で“8時間立ちっぱなし”の激励

日中の最高気温が9度にも満たない寒空に覆われた能登半島。朝から断続的な氷雨が続く12月17日、天皇陛下と雅子さまは、石川県輪島市を訪問された。 2024年9月の豪雨災害は、元日の地震で甚大な被害を受けた奥能登を襲い、輪島市では11人が亡くなり、1260棟あまりの住宅が損壊や浸水するといった“二重被災”が、人々を苦しめ続けてきた。両陛下は3月と4月にも能登地方を訪問し、以降も傷ついた被災者に寄り添おうとされてきた。   「天皇陛下と雅子さまは、“何としてももう一度2024年内に被災地へ”と、強く希望されていたと聞いています。復旧作業が進んでいた能登を豪雨が襲い、さらに人々を苦しめていたことに、いっそうお心を痛められていました。   今回訪問された輪島市の久手川町は、いまもがれきが散乱したままで、道路などの復旧はほとんど進んでいない状況でした。3月に足を運ばれた輪島市役所も再訪されましたが、玄関口の敷石がめくれ上がったままだったりと、時間が止まったような状況だったと……。復旧の遅れには、両陛下も驚かれたご様子だったそうです。   今回は宮内庁のマイクロバスを東京から運び、顔がよく見えるようにと、冷たい風が吹き込むなかでも、窓を全開にして手を振り、沿道の奉迎者に応じられていました」(宮内庁関係者)   被災地のご視察や黙礼、被災者へのお見舞い、災害救助や復旧作業に携わる関係者への労いと、現地では8時間ほどを、両陛下は分刻みで移動されていた。皇室担当記者はこう話す。   「両陛下は、バスでは進行方向の左側の席で前後に座られ、お車の右側に奉迎者が並んでいると、わざわざ右側に移動されていました。しかも雅子さまは、時折バスの中で立ち上がられ、沿道の人々に向けて身を乗り出すかのように、手を振られていたのです」   魂を込めて、被災者を励まそうと奮闘される雅子さまのお姿に、感動した表情で本誌に語るのは、沿道にいた藤澤香織さん(51)だ。   「ご成婚のとき、雅子さまがお召しになっていたコートに似たものを買って着ていたほど憧れていたもので……その雅子さまがお手を振ってくださって、本当にうれしくて元気が出てきました。両陛下がいらっしゃることで、全国に被災地の現状を知ってもらえるきっかけになるので、本当にありがたく思っています」

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