『君をのせて』や『となりのトトロ』を歌う歌手・井上あずみさん。39歳で娘・今尾侑夕(ゆーゆ)さんを授かります。3歳のときに2週間ほど発熱を繰り返した娘を病院の診察に連れていったところ、医師から衝撃的な言葉を伝えられます。(全4回中の2回)
■妊娠発覚と同時に「双角子宮」が発覚し
── 井上さんは現在のマネージャーでもある今尾さんと結婚、39歳で娘さんを妊娠されたとき、子宮奇形である「双角子宮」が発覚したそうですね。
井上さん:すでに高齢出産の年齢でしたし、なかなか妊娠できなかったのですが、奇跡的に妊娠したんです。妊娠してクリニックに行って初めて私の子宮は「双角子宮」といってハート型になっていることが判明しました。女性は子どものころはみんなハート形をしているそうですが、大人になるとひとつのお部屋になるところ、私の場合は繋がってはいるけどふたつにわかれた形のままだったんです。実は生理が月に2回来る体質だったのですが「そういう人もいるよね?」と、のんきにとらえていて(笑)。39歳にして自分の子宮の事実を知りました。先生からも「妊娠してからわかる人は珍しいですよ」と言われたくらい。通っていたクリニックではだめだったので、大きい病院を紹介されたんです。
── 奇跡的な妊娠で歓喜されたことと思います。お仕事もセーブせねばという状況だったのでしょうか。
井上さん:それが妊娠したとたんに仕事が急激に増えたんです。よく言いますよね、「子どもは米びつを背負って生まれる」って。その言葉どおりでした。高齢でしたし予定帝王切開で産むことが決まっていて、いつまで仕事をするかと考えていたところだったのですが。それまで仕事をしたくてたまらない人生でしたから、もっとどん欲にやりたいと(笑)。不思議なくらいあれよあれよという間に産休に入るまでのスケジュールが埋まり、空いてる日がもう2日間だけという状況に。そして、なんと最後の最後にドンピシャでその2日間も仕事がきまったんです。しかもすべて新幹線移動で済む距離のお仕事で、飛行機移動はなしというのも奇跡でした。なんだか後にも先にもこんな都合のいい仕事の入り方することはありませんでしたので、子どものパワーなのか、いま振り返ってみても本当に不思議です。
── 臨月は夏だったそうで、猛暑のなかお腹が大きい時期はお仕事も大変でしたよね?
井上さん:さすがにお腹が張る日もありました。でも仕事先で会う子どもたちはお腹を触ってくれたり、話しかけてたりするんです。「赤ちゃんがいるのー?」って。それがすごくいい胎教になってくれましたね。『さんぽ』を歌うと動くし。娘は今でも「ママの歌を聞くと眠たくなる」と言います(笑)。
娘は逆子で生まれ、低体重だったので数日は保育器に入りました。私は出血が多く、輸血をしました。やはり出産は命がけです。でも、1か月後には次のレコーディングが決まっていたので。なんとかそれまでに復帰をと、頑張りました。レコーディングの流れでイベント出演が決まり、結局そのまま仕事に復帰しました。
── 井上さんも、マネージャーを務める夫の今尾さんも同じ仕事現場に向かうことになりますよね。復帰されたあと、娘のゆーゆさんはお仕事に同伴されたのですか?
井上さん:マネージャーの夫が1年間の育休を取りました。それで別の現場マネージャーと仕事へ行くかたちに。小さく生まれた娘がしっかり育つよう、どうしても母乳で育てたかったので、仕事に行く前には搾乳して、冷凍して…とやっていましたね。ただ、仕事先ではどうしても胸が張って母乳を捨てないといけないのはつらかったですね。
■発熱で受診した病院で「白血病の疑いがあります」
── 娘のゆーゆさんは、3歳で白血病と診断されたそうですね。発覚したときのことを教えてください。
井上さん:はじめは風邪かなと。熱が下がらなくて2週間近く発熱を繰り返したので病院へ。もともと色が白い子だったんですが、先生に「いつも青白いですか?」と聞かれて。「今のこの子の雰囲気を見て、僕の直感ですけど、白血病の疑いがあります。脊髄に注射針を刺すのはリスクがあるけど、僕は調べたほうがいいと思う」と言われ、検査をお願いしたんです。
先生の直感が的中して、急性リンパ性白血病とわかりました。あまりの衝撃的な病名に夫婦でショックを受けましたが、紹介された大きな病院では「その先生はお手柄でしたね。この段階でよく見つけてくれたと思います」と言われました。「この状態で来るのと、半年~1年経過してから来るのとでは全然違う」と言われて、少し救われた気がしました。
発見したのは発症から推定で3か月以内とのことでした。通常は1年くらいしないと発見されないものらしく、悪化する前にわかったわけです。ですから、血液にはまだ白血病の数値が現れる段階ではなかったので、血液検査でわかるものではなく、最初の先生のカンで骨髄の検査を受けることができて、本当に運がよかったです。
── とはいえ、ゆーゆさんの治療はおつらいことも多かったと思います。どのような治療だったのでしょうか。
井上さん:半年くらい入院しました。プレドニンという、血中の白血球だけが死滅していく薬なのですが、それを使って限りなく白血球をゼロに近い状態に落として、戻すというのを3回繰り返すことで、がん化した白血球を死滅させるという治療でした。
髪の毛は全部抜け落ちましたが、それよりも肝臓や腎臓に負担がかかることが怖かったです。持ちこたえてくれないと治療に耐えられなくなるので。かわいかったお顔がムーンフェイスと言ってパンパンに腫れました。薬をやめたら戻るんだとわかっていながらも見ているのはつらかったですね。その治療に対して娘は優等生で、先生が計画していた理想通りの効果がありました。
白血病は脊髄の中に潜んでいて、治ったと見せかけてまた出てくる。そのため、脊髄を直接抗がん剤で洗うという治療もやりました。娘は5回中の2回目で自律神経に影響が出てしまい、「目がクルクルする」と言い出したんです。それで脳を調べるとモヤができていたので中止することになりました。このまま続けるかやめるかは賭けでしたけど、脳のモヤも次第に戻り、さいわい再発もなく寛解しました。
入院中は娘を置いて仕事に行かないといけません。ずっとつき添ってあげられなかったことがつらかったですし、娘にもかわいそうな思いをさせました。娘は4人部屋だったんですけど、みんな大変な病気を抱えて頑張っていて、私が病室に行くと「ゆーゆママーっ!」と喜んでくれて。外に出られない子たちにとってDVDで観るトトロは人気で『さんぽ』を歌うと本当にうれしそうに聴いてくれて、笑顔をもらいました。そんなみんなに、私のほうこそ力をもらいましたね。
■小さい娘が「私も歌手になろうかしら?」
── お元気になられた娘のゆーゆさんは7歳のときに、『6さいのばらーど』という曲で歌手デビューされました。
井上さん:いつもレコーディングのときにはスタジオに連れていっていたんです。「いーなー、私もここで歌いたいな」って言っていたので、「井上あずみのジブリ名曲セレクション」というカバーアルバムで、ナウシカのレクイエムを娘が5歳のときに歌わせたんです。そしたら周りが「すごいねー!」って褒めてくれるもんだから、娘も得意になっちゃって(笑)。「私も歌手になろうかしら?」「パパ、私も自分の曲が欲しい!」と言い出したんですよ。
それで夫が友人の作曲家・作詞家に「6歳の子が歌ってちょうどいい感じの曲作ってくれないかなぁ」って頼んだら、『6さいのばらーど』という曲ができまして、歌手デビューしました。デモテープを作ってNHKのプロデューサーにプレゼンしたら、すぐ番組で採用になって、とんとん拍子にデビューが進みました。
── 現在、音楽系の大学に通いながら歌手として活動するゆーゆさんですが、同じ歌手として頑張っておられる娘さんを見ていかがですか?
井上さん:私は案外ステージに立つ前は緊張してしまうのですが、娘は全然動じないタイプなんですよ。歌の技術についても感覚ではなく、きちんとメソッドに忠実に、努力して歌を勉強しているところも尊敬しています。昨年、私が脳出血で倒れてお休みしていて、ついこのあいだ私の復帰コンサートをやらせてもらったんですが、彼女が企画・司会をしてラピュタの『君をのせて』を私の代わりに歌ってくれて。大きなホールで堂々と歌っている姿を見て、すごいなぁととても誇らしかったです。
PROFILE 井上あずみさん
いのうえ・あずみ。歌手。石川県金沢市出身。83年にデビュー。86年、スタシオジブリ・宮﨑駿監督作品『天空の城ラピュタ』ED挿入歌『君をのせて』に抜擢。続く『となりのトトロ』では『さんぽ』『となりのトトロ』『おかあさん」『まいご』など、主題歌・イメージソングを数多く歌う。2023年、歌手デビュー40周年コンサート当日に脳出血で倒れ闘病。リハビリを続けながら2024年11月にステージに復帰した。娘は歌手の今尾侑夕。
取材・文/加藤文惠 写真提供/井上あずみ