天皇皇后両陛下が能登の豪雨被災地に出発 今年3度目の能登お見舞いで避難所もご訪問へ

天皇皇后両陛下が、9月に発生した能登半島の豪雨被災者を見舞うため、特別機で石川県に到着されました。両陛下の能登半島訪問は、今年に入ってから3回目となります。午前10時頃、羽田空港に到着された両陛下は、関係者と挨拶を交わした後、特別機で野空港へ向かいました。 両陛下は、元日の地震と9月の豪雨に苦しむ能登の人々の心と体の健康を深く憂慮されています。この度の訪問では、厳しい寒さの中で不便な暮らしを強いられている方々に寄り添う姿勢が示されています。 到着後、両陛下は車で和まを訪れ、大雨による川の氾濫現場を視察されました。また、避難所を訪問し、被災者たちに声をかけると共に、救助や復旧にあたった関係者を労う予定です。このような訪問は、被災者に希望を与え、地域の復興に向けた支援の重要性を再確認する機会となります。 両陛下の訪問は、地域住民にとって心の支えとなり、復興に向けた力強いメッセージを送るものです。能登半島の人々が早期に平穏な生活を取り戻せるよう、国民の期待が寄せられています。

中山美穂さん発見時の様子 社長語る(デイリー新潮)

「社員から私に電話があって」 【前後編の前編/後編からの続き】中山美穂さんのトシちゃんとの“ハワイ逃避行” 当時のマネージャーは「上手にやってくれればよかった」 今だから話せる“秘話”とは あまりにも突然の報せだった。女優・中山美穂さんの死。14歳でドラマに初出演、スターダムへと駆け上がった。「月9」でヒロイン役を演じること歴代最多。時代を彩ったスターの来し方を振り返る。 救急車がサイレンを街中に響かせ、東京・渋谷区内の7階建てビルの前に到着した。時間は12月6日正午ごろ。5階までは芸能事務所や撮影スタジオが入居しているが、救急隊員は6階へ。近隣住民は商業ビル然とした外観からそうとは知る由もなかったが、部屋の主は中山美穂さんだった。 中山さんの所属事務所で、バーニングプロダクション傘下の「ビッグアップル」社長、鈴木伸佳氏が当日の様子を語る。 「美穂は夕方から大阪市内でのコンサートを予定していました。担当の女性マネージャーと品川駅で待ち合わせており、運転手役の別の社員が朝9時に自宅まで迎えに行っていたのです。ところが、社員から私に電話があって“1時間待っても出てきません。電話も鳴りっぱなしです”と」 時計の針は午前10時を少し回っていた。 「心配して、自分も自宅に向かいました。ただ、あそこは特殊でね。エレベーター専用の鍵がないと上に行けない仕組みです。それで、美穂が合鍵を預けていた知人女性に鍵を借りねばなりませんでした。美穂は猫を2匹飼っていて、遠征の時などに代わりに餌をあげてもらうため、鍵を預けていたんです」(同) 部屋に足を踏み入れると…… 担当者が鍵を携えて自宅前に戻ったのが11時半ごろ。鈴木氏は担当者と二人でワンルーム・72平方メートルの部屋に足を踏み入れた。 「ひと通り部屋を見回しても美穂の姿が見当たらず、 もしやと思って、浴室の扉も開けてみたんです」 そこに彼女の姿があった。 全国紙の社会部デスクが言う。 「救急隊員が現場に到着した時点で、すでに死後硬直が始まっていました。隊員は蘇生不可能な“社会死”と判断。病院への搬送は行っていません。警視庁は当初、自殺および事件の線も含めて捜査しましたが、ご遺体には目立った外傷もなかった。解剖の結果、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものであると結論付けられています」 複雑な生い立ち 主役を演じた恋愛映画「Love Letter」(1995年、岩井俊二監督)がアジア圏で人気を博した彼女の訃報は、中国や韓国でも大きく取り上げられた。 生まれは70年3月1日、長野県。生い立ちは複雑で、幼少期に両親が離婚。母親に伴われて3歳のとき、まだ生後間もない妹の忍(51)とともに上京した。一時期までは都内の伯母夫妻の元に身を寄せる生活を送ったという。 中山さん自身、2009年に刊行したエッセイで、こんなふうにつづっている。 〈母子手帳には母の名前しかなかった。戸籍などを見ても現実と同じように実父の名前はない〉 〈母は実父のことに関して、私が幼いころに一度だけ、亡くなってしまった、と言ったきりなにも教えてはくれませんでした。(中略)年月がたち、パリに来てくれた母が、これまでいっさい話してくれることのなかった私の父親のことを初めて少しだけ語ってくれました〉 小4の時分に母親が再婚し、小中学校時代に数度、転校も経験している。 「初回放送前日、“見てくれますかね”と心配していた」 芸能界入りのきっかけは、中1の春、原宿でスカウトされてモデルとなったこと。 転機は中3の3学期に訪れた。85年1月8日、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビューを果たしたのだ。 中山さんの初代マネージャーでビッグアップル創業メンバーの一人、岡嶋康博氏が述懐する。 「作品は思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマでした。初回放送の前日、彼女が“見てくれますかね”と心配していたのを覚えています。初回放送後、二人で街を歩いていると“あれ、のどかじゃないの”という女子中高生の声が聞こえてきて、私たちは驚きました。そんなに反響があるなんて、思ってもいなかったのです」…

46歳お笑い芸人が激怒の告白、離婚した元タレント妻を名誉毀損で訴えていた「流石に舐め過ぎ」

お笑いコンビ、流れ星☆のたきうえ(46)が18日までに自身のブログを更新。20年1月に離婚した元タレントの小林礼奈(あやな)氏(32)を名誉毀損(きそん)で訴えていたことを明かした。 「小林礼奈氏の僕に対する謝罪文について説明します」の題名の文章をアップ。「小林氏のブログの内容について意味が良く分からないと思うので説明させて下さい」と前置きした上で「実は小林礼奈氏を名誉毀損で訴えていたのですが、小林氏のブログのメッセージボードに謝罪文を半年間掲載する。という事で和解しました」と告白した。 「しかし、小林氏のブログに何の説明も無く謝罪文の雛形の写真を貼っただけで約束のメッセージボードには未だに謝罪文は載せられていません。さらに名誉毀損したブログも未だに削除されていません」とした上で「和解した約束を完全に破っている現状です。こちらとしては穏便に済ませたかったから和解したのに、和解条項すら破るのは流石に舐め過ぎています」と怒りをあらわにした。 そして「小林さんへ、ただちにメッセージボードに謝罪文を載せ、問題のブログを削除して下さい。さらに『市議会議員立候補取り消ししたのは僕のせい』などという嘘のブログに対しても即刻訂正謝罪文をメッセージボードに掲載し、ブログを削除して下さい。3日以内に行わなかった場合、こちらも名誉毀損で訴えたいと思います」と投げかけた。 さらに「今までは娘の為に何も言わず我慢していましたが、我慢した所で小林さんをつけあがらせて僕の印象が悪くなっていくだけでした。これからは僕の名誉の為に戦いたいと思います」と宣言した。