中山忍「最後のステージのようでした」実姉・美穂さんの葬儀を報告 遺影はお気に入りのドレス姿
女優の中山忍が12日、54歳で亡くなった歌手で女優の実姉・中山美穂さんの葬儀が終わったことを報告した。美穂さんのオフィシャルサイトで公表された。 オフィシャルサイトでは「中山美穂の旅立ちをご報告」と題して、「本日、青空が広がる清々しい天候の中、中山美穂の火葬を無事に終えました」と報告。葬儀は家族と事務所関係者のみで執り行われ、「穏やかな雰囲気の中、故人を見送ることができましたのも、報道関係者の皆さまやファンの皆さまがご配慮くださり、静かに見守っていただいたおかげです。心より感謝申し上げます」と感謝が記された。また、美穂さんのお別れの会については詳細が決まり次第、改めて案内すると発表された。 また喪主の中山忍からのコメントも公開。美穂さんの姿を「最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。」と見送ったことを記した。また、「何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。」と美穂さんが愛息と再開できていたことも明かした。 また「静かに見守ってくださったマスコミ関係者の皆さま、ご配慮いただき本当にありがとうございました。」と感謝の言葉を述べた忍。自身の今後については「私にとって姉は『大好きなお姉ちゃん』であるとともに『みなさんの中山美穂』であり、『永遠のシャイニングスター』です。これからは皆さまが姉を思い出してくださる時、そのきっかけのひとつとなれますよう、その思い出があたたかなものでありますように、私も俳優として、より精進して参ります。見守ってくださいましたら幸いです」と記した。 以下は中山忍のコメント全文。 ☆ ☆ ☆ 「姉を愛してくださったすべての皆様へ」 おかげさまをもちまして、姉「中山美穂」の葬儀が滞りなく執り行われたことをご報告申し上げます。 親族の希望で家族葬とさせていただきました。 最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。 お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。 そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。 静かに見守ってくださったマスコミ関係者の皆さま、ご配慮いただき本当にありがとうございました。 姉は一生懸命な人でした。 ちょっと頑固で、バカみたいに正直で、本当は傷付きやすい心を見せず、何があっても自分の責任だと、真っ直ぐ前を向く勇気がある人でした。 自慢の姉でした。 どうか皆さま、 姉のとびきりの笑顔を 空を見上げた その声を、その歌声を、その指先を、 忘れないでいてあげてください。 私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です。 これからは皆さまが姉を思い出してくださる時、そのきっかけのひとつとなれますよう、 その思い出があたたかなものでありますように、私も俳優として、より精進して参ります。 見守ってくださいましたら幸いです。 良いときも悪いときも 別れ際に姉はいつも 「じゃあ、忍、あとはよろしくね」と…
中山美穂さん長男 10年ぶりの再会は自宅 パリから駆け付け…葬儀には参列せず 妹・忍「2人の姿は…」
都内の自宅の浴室で6日に死亡しているのが見つかった女優で歌手の中山美穂さん(享年54)の家族葬が12日、営まれた。 スポニチアネックスの取材では、訃報を受け、長男がパリから駆け付け、美穂さんの自宅を訪れていた。10年ぶりの再会。12日の葬儀には参列していないが、自宅でゆっくりと親子の時間を過ごした。 この日、コメントを発表した忍は「何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした」と記した。 美穂さんは作家・辻仁成と2002年に結婚し、パリへ移住。04年に長男が誕生。だが、14年に離婚。親権は辻が持ち、美穂さんは離婚後、10年間、長男と再会する機会が持てなかった。
《追悼》中山美穂さん、芸能界きっての酒豪だった 妹・中山忍と通っていた焼肉店店主は「健康に気を使われていて、野菜もまんべんなく召し上がっていた」
“ミポリン”の愛称で親しまれた元トップアイドルが早すぎる生涯を終えた。ステージで輝き、スクリーンでも才能を発揮した中山美穂さんは、時に奔放で、愛に正直だった。複雑な生い立ちゆえに追い求めた家族への愛情と晩年の孤高。一時代を築いたスターの人生を詳報する。【前後編の前編】 【写真】元夫で作家の辻仁成氏とのツーショット。他、過去に交際していた音楽家の渋谷慶一郎氏やベーシストの永田雄樹氏とのツーショットなども 「6月のデビュー日にツアーの楽屋を訪ねたとき、彼女は『これからもライブがたくさん決まっているんだ』と前向きに話していました。若い頃からまっしぐらに仕事をしてきたし、忙しくて悩んでいる暇もなかったんじゃないかな。『じゃあ、またね』、『今度、食事でもしようね』と交わしたのが最後の会話です。クリスマスには会えると思っていたのに……残念でなりません」 急逝した中山美穂さん(享年54)の宣伝担当を務めた元キングレコード常務取締役の竹中善郎さんは、デビュー当時から知る彼女との早すぎる別れを嘆いた。 華やかな美貌と歌声で一世を風靡し、多くの人に愛されたスターの訃報に日本中が悲しみに包まれた。中山さんが変わり果てた姿で見つかったのは12月6日正午過ぎ。その日は夕方から大阪市内でクリスマスコンサートを行う予定だったが、生前、彼女が何よりも楽しみにしていたステージに立つことはなかった。 「当日の朝7時頃、スタッフが送ったLINEが既読にならず、待ち合わせ時刻の9時になっても連絡がつかなかった。心配した事務所関係者が自宅を訪ね、浴室で動かなくなっていた中山さんを見つけたそうです。すぐに警察と消防に通報したものの、現場で死亡が確認されました」(社会部記者) 中山さんは、芸能事務所などが入る都内のビルの住居フロアにひとりで暮らしていた。発見された際、湯を張った浴槽の中で前かがみになり、顔を水面につけた状態だったとの話もある。 「8日に死因・身元調査法に基づく解剖が行われ、所属事務所が入浴中の不慮の事故だったと発表しました。遺体に目立った外傷はなく、玄関が施錠されていたことなどから、事件性はないとみられています」(前出・社会部記者) 12月1日、神奈川・横浜で行われたクリスマスコンサートで中山さんは『You’re My Only Shinin’ Star』や『世界中の誰よりきっと』など自身のヒット曲を熱唱。MCでは2025年に未公表の大きな仕事があることなどをうれしそうに語っていたという。 2025年のデビュー40周年に向けて、精力的に活動していた中山さん。彼女の近況を知る関係者は口々に「変わった様子はなかった」と言うが、彼女は人知れず葛藤を抱えていた。終の棲家となってしまった70平米の部屋で、希代のアイドルが最期に見た光景とは──。 「眠れない」と打ち明けていた 「中山さんは長年、子宮筋腫を患っていましたが、10年近く前に完治し、ほかに大きな持病はなかったそうです。健康には人一倍気を使い、お風呂にデトックス効果のある入浴剤を入れてリラックスするのが習慣になっていました。本を読みながら長時間つかることもあったそうです」(芸能関係者) 歌や撮影の仕事があるときは、風邪で喉を痛めることがないよう、人に会わないようにしていたほどプロ意識が強かった。一方で、若い頃はたばこを吸い、芸能界きっての酒豪で鳴らした。オフの日にバーをはしごするのは日常茶飯事で、仕事中にシャンパンやワインを飲むこともあり、本人も酔うと「100倍明るくなります。楽しくて楽しくてしょうがない」と語っていた。妹の中山忍(51才)と頻繁に訪れていた焼き肉店の店長が語る。 「忍さんはお酒を飲まないのですが、美穂さんはお肉にあわせて、よく赤ワインを召し上がっていました。銘柄にこだわりはなく、店がおすすめするセレクトワインです。健康に気を使われていたので、もちろん野菜もまんべんなく召し上がっていた印象です。 最後にいらっしゃったのは3か月ほど前。バンドのメンバーや関係者のかたたちと一緒にいらして、いつもと同じ様子でお元気そうにされていたので、今回のことには本当に驚いています」 気にかかるのは、亡くなった日の午前2時半頃に、中山さんが所属事務所の関係者に仕事に関するメールを送信していたことだ。2024年9月に出演したバラエティー番組で、中山さんは「なんかだんだん眠れなくなってきちゃって……」と不眠の悩みを打ち明けていた。 「MCのマツコ・デラックスさんが『寝れないですよ。最近本当に』と相槌を打つと、『起きちゃいますね。寝れないし起きちゃうし』と、体内時計の乱れを訴えていました。事故の日も状況的に入浴した時間は深夜3時頃とみられ、安眠障害や中途覚醒に悩まされていた可能性も指摘されています」(前出・芸能関係者)